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金沢・能登の旅…白米の千枚田
- 2011/07/23(Sat) -

能登から戻って3週間が経とうとしていますが、旅の報告はやっと中盤です(^g^)

実は今回の旅の一番の目的地はここ! 白米の千枚田です。
 
2011 07 01_9848-1.jpg
雨には降られませんでしたが、期待していた夕焼けに染まる千枚田は見ることが叶いませんでした。
日没時刻も調べていったのですが、ほんのちょっぴりも焼けなくて…
だけど穏やかな色の海に落ち込んでいく緑の棚田は綺麗でしたよ^^

2011 07 01_9852-1.jpg
ちょっと寄って撮ってみました^^

2011 07 01_9838-1.jpg 
千枚田は千枚以上の田圃があるということから千枚田と言われる他に、狭い田でせんまい田とも言うらしい^^;
この写真に写っている手前の田圃には稲株が20位しか植わっていないですものねぇ…
ちょっとでも平らな所ならどんなに狭くてもそこを田圃にして稲を植えてるんだねぇ…。

国指定名勝に指定されたのが平成13年1月29日です…下がその説明文

国指定名勝 白米の千枚田
千枚田は、実際には1004枚ものミニ水田が連なっている。田の枚数が多いので千枚田と称するが、
「狭い田」なので千枚田だという異説もある。
最も小さい水田は、0.2?、現在、13戸の農家が幾多の苦労を重ねながら耕作を続けている。
畦付けのため、毎年、高い方の土手を削って田圃へ入れるので自然客土となり、
肥料も一般の田の半分ぐらいでよいといい、病害虫も少なく二石六斗の反収があるという。
米の味は特に優れており、消費者からは大いに歓迎されている。
千枚田は、地すべりの急傾斜地であるが、寛永15年(1638年)頃、能登小代官に赴任中の下村兵四朗
(後の板屋兵四朗)が築造したという谷山用水もあり、水利に不安はない。
平地が少なく狭い国土、勤勉な国民性など、千枚田は我が民族の象徴ともいえる。
縄文土器をもしのばせるその造型模様は美しく、平成13年1月、国の名勝に指定された。
白米村はかつて製塩も盛んであった。寛永12年(1635年)の記録によると出来塩1295俵とあり、
延宝2年(1674年)の記録でも13軒のうち百姓数は六軒、他の七軒は塩士であったとある。
また当時、塩を収納したという御塩蔵跡も残されている。
揚浜塩田は、その後の海岸浸触により水没、今は跡形もなくなっている。

で、今年の6月11日には世界農業遺産に認定されました。
能登にも、一時期原子力発電所誘致をめぐり揺れた時期もあったそうです。
しかし原発誘致が凍結した後、バイオマスや自然との共生を掲げて昔からの遺産を生活の中に密着させながら護ってきた…
その、姿がきっと世界農業遺産に認定されたのだろうなと…便利なものに飛びつくのではなく、昔から護られてきた暮らしの知恵の恩恵を大切にしながら生きていく…今の日本に一番必要なことかもしれないね。

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コメント
-言いますね-
狭いを「せんまい」と。。。^^
北陸と関西圏の融合か、はたまた京の流れか。
2011/07/23 19:47  | URL | okoze #cm2zDcPg[ 編集] |  ▲ top

-本当にせんまいの(笑)-
千枚田の案内板に蓑隠しの話(蓑の下に田圃が隠れていたって言うお話ね)がありましたが、本当に蓑に隠れるような小さな田圃もあってね…そんな小さな田圃からもお米が採れる、凄いです!
手でしか出来ない作業ばかりみたいだけど、手作業でするからこんなことも出来る…
せんまい田圃、頑張っていましたよ♪
2011/07/24 07:32  | URL | niko #zaTBqBzo[ 編集] |  ▲ top


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